アトリエ / 縁側 閑話 美の世界と私

 

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絹本に取り組む

 

 50年ほど前 岡崎高校美術部在籍。

 顧問は 洋画 新制作展の成瀬光男先生。

 美術部に入ろうという気はあまりなかったのですが4月の部活動の説明期間のある日、入ろうと思っていた弓道部の説明会は4時半から、それまでの時間、4時からの美術部の説明会をちょっと見学。美術教室というのが校舎の東端、出入口がひとつだけ。入口を背に大きなイーゼルが並び 先輩たちの一群。はいると奥へ、途中の退場はむつかしい空気。そもそも、名古屋市内の旭、明和にしなかったのは、身体虚弱の私に担任の先生が「近くの高校へ行って身体を鍛えなさい。(私は越境入学生で中学通学に片道1時間半かかっていた)弓道なんかどうだ。会社の重役とか・・」担任の岩切先生は至誠の師でありまして、100%信頼。話を聞いた瞬間、岡崎高校弓道部進学を決めました。

 美術部 春のスケッチ 乙川川畔 

 土手で スケッチブックに 遠くの橋と川原。成瀬先生がやってきて そばに立ちました。風が心地よい。先生のズボンが腕に触れ フエルトの柔らかい感触。上等。

 成瀬先生「よく描けている。君はあと3年間 することがないな。」

 

 プロの先生の言葉の魔力 それ以後 上達せず。 

 

 美術部では、1年生は絵の具作り。北側の準備室、大理石の厚板に粉の絵の具を置き、油をたらし、大理石の小石で練ってペースト状に。その当時はやっていたクリープ(粉ミルク)の瓶につめて、先輩たちのいる南側の美術教室に持って行く。美術部の1年生は私だけではなかったのですが、男子2人(北野君と私)、女子多数。絵具作り作業は男子が主にやっていました。作業のまわりに女子数人がとりまいて見ていた。当時の岡崎高校では女子はあまりいなかった。外から、北側の窓から、作業の様子は見える。窓の外には女子生徒を見に多数の男子生徒が集まる。クラスで「いいねえ」と言われたかな。

 

 

 キャンバスも木枠から、古い布を張り、白いペンキを塗って自分たちで作っていた。みんな30号、50号の大きなキャンバスに描いていた。絵具もふんだんに使って厚塗り。

 県の高校生の展覧会があり、栄の県美術館へ。名古屋市内の高校の作品の小さいことと、絵具の色の鮮やかさが印象的でした。我々の絵は大画面なれど暗い色調。自分たちで作る絵具は売っているのより暗い色だった。

 土色の絵具をよく作っていたでしょうか。先輩たちは風景画が多かったかな。先輩たち、確かなデッサン力。私は、筆は使わず、ペインティングナイフのみ、超厚塗り。色は絶対混ぜない。鮮明、純色。

 成績が なぜか どんどん下がっていきました。

「美術部 やめます」1年生の秋だったか・・

 成瀬先生「君は美の世界を去るのですか?

 

 そして それから50年 美術の世界には無縁に過ごす。 

 定年退職後7年 名古屋大学から次年度の講師依頼が いつもの時期に来なかったので、非常勤の務めも終わったと思い、「自由を得た!」・・・何をしましょう? カルチャー教室で案内を見て・・

(ところがしばらくして「来年度のシラバスを提出せよ」だって! 去年は依頼も受けずに実働)

 日本画教室に通うことに。67歳の手習い。

 

 とにかく ふかふかの黒いズボンで 美の世界へ。